12 making a hamburger, please which put the cheese into six.

Google先生に訳してもらったが、自信はない。

2年前のこと。

こんばんは、木綿です。

2年前。
私は翌日に妹を障害者専門の歯医者さんに連れて行くために、実家に戻ってきていました。
自宅では「新しい掃除機が欲しいー!」なんてブログに書いたりしていました。

実家に着いた途端に激しい揺れに襲われ、母と情報源になるTVとPCを押さえ、揺れが収まるのを待ちました。
台所の食器棚から食器が落ち、割れていきました。

TVはついていたような記憶があります。
すぐにNHKにチャンネルを換え、情報を得ようとし、自宅付近が大変なことを知り、すぐさま夫に電話をしましたがもちろん繋がらず。
メールで安否確認をしました。
それから何度も電話をかけ、奇跡的に繋がりました。
猫、義母の無事を知り、自室がめちゃくちゃだということも伝えられました。
その電話の途中で茨城沖の強い地震が起き、電話を切りました。

あちらは停電になり、充電が出来ないだろうと思い、基本的にメールでの連絡としました。
私は結局、13日に自宅に戻りました。
その頃には自宅に電気も通っていましたが、付近では停電の所もありました。

住んでいる市には津波もきました。
水道は5月まで返ってきませんでした。
未だに道路の隆起もあります。
工事も続いています。

出来ることをしたかった。
あの頃、私はまだヒスロンHを飲んでいて、3月には3回目の掻爬結果を聞くことになっていて。
高校の時の友達が、東北へ行って、お手伝いをしていたので、彼女に託せることがあったので、託して。
実際には活動出来なかったけど、市のボランティアにも登録して。
一昨年の秋には東北全県を周る旅をして。

まだまだ出来ることはたくさんあるわけで。
そして伝えていくこともできるわけで。

うまく言えないけど。
忘れることなんてできません。